慶應で産みたい*つんブログ

36歳妊婦 日々迷走

流産〜現在

(少し前のお話です)

前回流産した妊娠10週を越えました。


前回の妊娠時は、アメリカのボストンに住んでいました。2015/5渡米。妊娠が分かったのは2015/12/24。薬局で英語の妊娠検査薬を前に30分以上うろうろし、意を決して購入。

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ドキドキしながら家に帰り検査をするとすぐにしっかりと陽性反応が出ました。

しかしアメリカの産科は妊娠12週以降でないと診察しないということで、産科診察予約が取れたのは2/16。当分先だ。

お腹に命がいる実感がないまま毎日を過ごし、胸の張りと生理がこないことだけが不思議な日々でした。陽性の検査薬を眺めて過ごしていました。


実感のないまま2月を迎え、2/3の昼間から軽い生理痛用の下腹部痛が出現・持続。お手洗いの際、ピンク色の出血が少しティッシュに付着するようになってきました。

2/4も持続。お昼過ぎに500円玉大の出血があり不安になり夫に連絡。15時頃急いで帰宅してくれました。

予約している病院に連絡。

通訳を通して「ナプキンがいっぱいになる程の出血になったらすぐに受診。そうでなければ明日受診してください」と。

不安ながらも大人しくお家で過ごしました。夜になりだんだん腹痛が強くなり、23時頃から身の置き所がないような下腹部痛に。ベッドでじっとしていられず起きたり座ったりうずくまったり。そして0時が過ぎた時、「なにかでそう」お手洗いで鶏卵大の血の塊が出ました。鮮血でした。急いで夫を呼びました。

すぐに病院へ電話。Uberを呼び血の塊を大事にくるんで病院へ。

大きな病院で夜中もとても忙しそう。たくさんの時間をはさみながら問診や内診、エコーなどの検査をしてくれました。その間も腹痛や出血は不規則に続き、たくさん出血する度にふらふらになりながらずっとベッドで横になっていました。


朝になって出た診断。

「子宮の中は空っぽです」


完全流産でした。

涙が出るでもなく私も空っぽでした。

そっか 


「妊娠はしていたんでしょうか」

「はい 妊娠していたと思われます」


と。私は英語がほとんど分からないため夫が全て通訳してくれました。心強かったですが辛い役目をおわせてしまったと今になって感じます。ごめんね。ありがとう。

血の塊の中に小さな小さな胎盤様のものが見つかりましたが胎児は見つからず。最後まで一度も姿を見ることはありませんでした。


日本で私の妊娠を喜んで楽しみにしている両親に連絡しなくちゃ。でも電話で話せる気がしない。長い長いメールを書きました。淡々と冷静に症状と経過を書きました。

私は夫がいてくれるから心強いよ


日本とボストンは地球の裏側にあたるほど遠く時差は13〜14時間あります。心配性で心臓の弱い母や家族に負担をかけたくない一心でした。


私は大丈夫

妊娠しても流産する確率は4人に1人

原因は胎児側にあることがほとんど

流産は止められない

仕事を通してよく知っていることでしょう

仕方のないことだ

これもなにかの意味があって起こったこと

仕方ない

仕方ない

私は大丈夫

大丈夫

大丈夫

みんなに心配かけちゃいけない

大丈夫

大丈夫


今思うと完全に気を張り過ぎていました。

素直に落ち込んで泣けば良かった。


その後私はおかしくなり夫の強い強い勧めで日本に一人帰国しました。

うつ病と診断されました。

原因は流産に限らず 慣れない海外生活やもともとの私の物事の考え方など様々だろうと。

当時はちょっとうつ傾向なだけでうつ病と診断され投薬治療が始まったことに「なんか大げさに伝わっちゃったかなぁ そんなひどくないんだけど まぁいいかぁ」と思っていましたが、今になって当時のメールやメモを読み返してぞっとしました。

完全におかしい。

考えても答えの出ないことや仕方のないことを全部自分のせいだと感じひたすら申し訳ないと考え、自分がいなくなれば全てがうまくいくみんな幸せになれる私さえいなければ…申し訳ない申し訳ない…という思いがつらつらつらつら長ーーーい文章となっていました。

うわ これ送られた方はきつい

なんでこんなマイナス思考なんだ 考えても仕方ないからやめればいいのに

と感じつつ、そのマイナス思考のループから抜け出せなかったことを覚えています。

好きでマイナス思考なわけではない

好きで考えているわけではない

負のループが止められない

自責の念に埋もれて溺れて苦しい

ここから抜け出したい

抜け出せないなら生きているのを辞めてしまいたい

ずっとマイナス思考の中でもがいてもがいて苦しくて、でもそのマイナス思考を止められなかったんです。思考の転換ができなかった。本当に生き地獄でした。帰国後は実家に身を寄せ引きこもり父と母の世話になりました。それも申し訳なかったけれど一人でいなくて良かったと心から感じます。


精神疾患を患った患者さんが「 私は正常だ」と感じているということを身をもって実感しました。

私は完全にうつ病でした。

今は診断され投薬治療を開始してから2年半経ち、「もう元のつんさんに戻っていますね」と精神科の先生に言っていただいています。内服薬の薬効もほとんどない最終段階の極わずか。年内には内服を辞められそうです。妊娠中でも問題ないお薬のため焦らずにいつか辞められるだろうとのんびり構えています。




そんな苦しい思い出の前回の流産。

その10週を越えられました。

一度も産科に行くことなくエコーで姿を見ることもなかった赤ちゃん。

今のお腹の子はその子の分まで元気いっぱいに育ってくれています。

そして12週の壁も越えました。

16週の安定期を迎えました。

生存可能な22週を越えました。

現在31週です。毎日元気にお腹の中で動いてくれています。

ここまで育ってくれた赤ちゃんと支えてくれた夫や家族に心から感謝しています。