慶應で産みたい*つんブログ

36歳妊婦 日々迷走

妊活・苦手な義父と2人

義父はとてもよく喋る。

しかし話し方は決して上手くない。言葉自体が強く固くなりがちだ。そして、自分が正しいと思うことを割と貫き、良いと思うものはものすごく勧めてくる。

子どもを授かれないのは私の身体が悪いんだと考えているようで、夫には何も言わずに私にだけ何度も何度も整体を勧めてきた。何年にも渡りやんわりお断りしてきたのだが、それでも手を変え方法を変え勧めてくる。夫が不妊の話題は控えてくれるよう伝えたが、あまり効果なく、夫の目の前以外のところで話すようになった。私の両親にまで「娘さんへ整体に行くように勧めてください」と言っていたらしいと後日知った。

 

そんな義父が苦手だ。

何度も影で泣いてきた。うつの症状が酷くなったことも一度や二度ではない。しかし、義父は決して悪気はないのだ。きっと全部良かれと思ってのことだろう。だからこそ、ぐっとこらえてきた。聞き流すことも少し覚えた。

 

結婚してから早9年。すっかり苦手な義父だけれど、うつ病の最中自分本位に夫を傷付けた私をまた受け入れてくれた。何事もなかったかのように、以前と同じように接してくれる。そこには感謝しかない。それは本音である。

だったら私も歩み寄らなければ!

 

2019年2月、夫の母方の祖父が急逝した。中々の遠方。義実家はその隣の県。

朝10時に義母から訃報が届いたが夫は仕事ですぐに向かえず、とりあえず私だけでもと荷造りでき次第飛行機に飛び乗った。

初めての一人帰省。緊張しないわけではないが祖父のことで頭がいっぱいだった。私の実の祖父二人は私が幼い頃に亡くなっている。遠方でもありあまり思い出が多くない。夫の父方の祖父もすでに亡くなられており、私にとっても唯一の祖父だ。優しくて温かくて夫に似て穏やかな祖父が大好きだ。

飛行機に乗ったら安心したのか一人泣いていた。

最寄り空港へは義母の弟さんのお嫁さんが迎えに来てくれてすぐに斎場に向かった。

変わり果てた祖父。

最後に会えて良かった。

 

義両親は多くは語らなかったが、来てくれてありがとうと。

お通夜を終え、翌朝葬儀の前に夫が到着できるのが分かった。今夜はみんなで斎場に泊まることになった。夕飯を食べている中、義父が近所で親戚がやっている居酒屋にこの後行こうという話になった。私は行ったことがない。是非にと。へぇ〜近くなんですか〜なんて曖昧な返事をしていたら、なんと義父と私の二人だけ行くのが決まっていた。

「父さんをよろしく」と義母に言われ、

え(・∀・)

という顔になった。

私に選択の余地は残っていなかった。

ほら行くよとさっさと外へ向かう義父。

これが嫁のつとめかっ。

これが親孝行かっ。

 

ははは〜(´∀`)と適当な返事にもならない返事をして向かった。

 

居酒屋で義父はとてもよく喋った。お酒が入ったので尚更すごかった。

唐突に「あなたの話も聞きたい!」と言われ適当な話題を話し出すが、ものの1分もたたずに義父が話をかっさらう。そしてまた30分〜1時間程話し続ける。それが3回は続いた。

聞いてる方が楽だったが、その中にはやはり孫や不妊を匂わす話題も出てきた。聞きたくない言葉がいくつも出てくる。やばい、ちょっと心のダメージが。と笑顔を保つのが難しくなる場面もあった。

しかし話を聞くのも親孝行!感謝感謝!

となぜか気持ちを切り替えられ落ち込み切らずに最後まで話を聞けた。

2時間半が経ち0時になる頃に義母からのメールでようやくお開きの方向へ

帰りのタクシーで気持ち良さそうに笑っている義父を見て、私はこの時間のために一人で先にここへ来たのかもしれないなぁと感じた。

 

翌朝夫が斎場に到着し、その顔を見て力が抜けた。

夫だぁぁぁ。

昨夜の二人飲み会を告げると驚きながら「よく頑張った。ありがとう」と労ってくれた。

良かった。本当に良かった。

その後、無事に葬儀を終え義両親に見送られて夫とともに帰路に着いた。

 

正直かなり疲れたけど、初めて義父と二人であんなに長く話をしたし、壁を作らずにいられたような気がした。

私の中で義父と和解できた気がした。

これも、ご先祖に感謝を示す一つであると後日感じた。